立秋8月12日 その2

August 12, 2015

8月12日

 DXコンテストをやろうという有志が集まって組織を結成したのが
35年前でした。1980年のことです。設置場所は和歌山県西牟婁郡
すさみ町にある高台の別荘地でした。設備の拡充を図るため月額
5千円という破格の会費を喜んで納めていました。さらに一時金として
10万円を納めた記憶があります。メンバーは8人くらいだったで
しょうかねぇ。
 




 メンバーの並々ならぬ努力の結果、無線設備も充実して来まして
クランクアップタワーが2基になりました。コンテストにはもっぱら
シングルTX部門への参加でしたので、無線機が4・5台になると
いうことはありませんでしたが。

 1985年8月、何人かでシャックに向かいました。時間があった
私は一人残って無線を楽しむことにしました。シャックには温水
シャワーはありましたが、テレビやラジオはありませんでした。
21MHz SSBで無線を楽しんでいると、JD1YAAが呼んできま
した。8月13日だったと思います。彼の局はどちらかというと
人から呼んで貰うことが主であるのに、なぜ私をわざわざ呼ぶ
のだろうと疑問に思うところがありました。交信がはじまって
南鳥島のオペレータはすぐに聞いてきました。「なにか航空機
事故があったようですけど、詳細をご存じですか」と。
残念ながらすさみシャックには情報を得る手段がありませんで
したので。「すみません、テレビもラジオもないのです」と答える
しかありませんでした。
 帰宅して南鳥島から受けた質問の意味がが分かりました。
JAL123便の墜落についてのことだったのです。

 8月12日が来るたび、すさみで交信したJD1YAAのことが
思い出されます。

 なお、すさみシャックはオーナーがすでに手放しています。
とうの昔にありません。









jr3eoi at 21:01│Comments(0)TrackBack(0)

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